沈黙のコスト——国際男性デーに読み解く、製造業の心と社会の編み目

社会と文化の狭間で

個人と集団の境界

製造業は、「集団の技術」がもっともよく発揮される場のひとつです。タクトタイム、5S、カイゼン、アンドン。誰かひとりの卓越した技術だけでは動かないシステムが、一体となって動いています。その一方で、こうしたシステムは「個人の不調」を見えにくくしてしまう側面も持っています。「自分が抜けたら止まってしまう」と感じる想いは、大きな責任感の表れでもありますが、同時に境界を曖昧にもしやすくなります。「私の不調」と「みんなの稼働率」の境界線を適切に引くことは、実は高度な技術なのだと感じます。

ここでも損失回避の心理が重なってきます。「今、自分が抜けたら迷惑をかけてしまう」という、想像上の損失が先に立ってしまうのです。その結果、「あとで打つ手がなくなる」という現実の損失が見えにくくなってしまいます。組織設計の考え方でいえば、ジョブ・ディマンド・リソース(JD-R)モデルの視点が役に立ちます。負荷(ディマンド)が高いときに、裁量、支援、回復の機会といった資源(リソース)が十分にあるかどうかで、燃え尽きてしまうのか、成長できるのかが分かれていきます。多くの製造業の現場では、物理的・時間的な負荷は高い一方で、感情を言葉にするためのリソースが不足しがちです。「忙しいからあとで」にしてしまうことが、心の工程表における典型的なボトルネックになってしまいます。工程分析が得意な組織ほど、「心の工程」を見える化できたときに、真の強さを発揮できるのではないでしょうか。

こうした「心の工程」を可視化し、現場の心理的安全性を高める具体的な事例については、中小企業の心理的安全性づくりと現場マネジメントでも紹介しています。併読していただくと、本記事の内容を自社の取り組みに落とし込みやすくなります。

「ある人に合う靴は、別の人には痛い。」

C.G.ユング

ユングのこの短いことばは、標準化と個別性のバランスを問いかけているように感じます。標準作業票がもたらす安心感は非常に大きいものです。しかし、その標準を「履く」足の幅や、かかえている傷は、人によって異なります。文化は、ときに「男は強くあるべきだ」という規格寸法を静かに広めていきます。規格があるからこそつながれる面もある一方で、規格に合わない足を責めない余白が必要です。合わない靴で歩き続けることのコストが、離職や生産性低下として跳ね返ってくることを、私たちはもっと経営の言葉で語ってよいのだと思います。

文化が癒すもの/壊すもの

文化は、目に見えない操作マニュアルのような役割を果たします。「最初に声をかけるのは誰か」「失敗談を笑って共有できるか」「上司の不調を話題にしてよいか」。製造業の現場文化は、誠実さと実直さで知られていますが、その強さが裏返ると、気遣いが沈黙を温存してしまうことがあります。たとえば「安全第一」という標語が掲げられていても、その中に「心の安全」が含まれていないのであれば、安全の意味は半分しか守られていないのかもしれません。

私は、朝礼の輪にひとりだけ表情が置き去りになっているように見える瞬間を、何度も目にしてきました。注意喚起の声が、本当に必要な人に届かない瞬間もあります。そうした些細な断絶を、文化は修復することもできます。「私もそうです」と言える場を、あえて作ることです。「失敗がひとつあれば、学びもひとつある」という共有が評価に響かないことを、明文化することです。匿名で相談できる窓口が「匿名である」ことを、徹底して守ることです。文化は本来、癒すためにあり、壊さないためにあるはずです。製造業の現場ほど、文化を「技術」として扱える場所は、実は多くないのではないかと感じています。

「人間は考える葦である。」

パスカル

折れやすさを認めることで、しなやかさを手に入れることができます。強度は材質だけでなく、構造によっても生まれます。梁を増やし、荷重を分散させることによって、建物は倒れにくくなります。人の心も同じです。週に一度の「安全・健康5分トーク」を工程内に組み込むこと。進捗管理板に「体調・気分」の欄を設けて、色で示せるようにすること。休憩の取り方をチームでデザインし直すこと。これらはすべて、文化という見えない梁を増やす行為だと言えます。

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