絵本に戻る大人たち——心の余白と社会の設計、そしてデザインという静かな手仕事

社会と文化の狭間で

社会の側から見ると、絵本ブームは「説明疲れ」に対する文化的防波堤のように映ります。言語化のスピードが速まるほど、共同体は「わかったこと」を先に並べがちです。だからこそ、わからないものを抱えたまま隣り合える場所が必要になります。美術館のソファ、図書館の窓、夜のキッチンの灯り。絵本は、社会の片隅にあるそのような場所の灯りを守っています。

個人と集団の境界

「みんながやっているから安心」という感覚は、思考停止の合図になることもあれば、境界を柔らかくする合図になることもあります。行列がある店で並ぶとき、私たちは味の保証だけでなく、孤独の薄まりも受け取っています。大人の絵本コーナーに人が集まるとき、その場は「心の安全地帯」になります。集団の中の個として、振動数を合わせて座る。社会的証明の力は、心理の微細な不安を沈める働きを持っているように感じます。

「静かな人気は、人の速さを少しだけ揃えます。」

ある書店員の独り言

Tさんという書店員は、夕方の短い時間に大人が絵本をまとめて買っていく風景を「波」と呼びました。誰かが一冊手に取り、その仕草が連鎖していきます。社会的証明は、派手な広告ではなく、静かな手元の動作からも生まれます。並ぶ、手に取る、ページをめくる。身体の所作で示された共有の納得が、文化の動きを生み出していくのです。

文化が癒すもの/壊すもの

文化は癒すこともあれば、囲い込むこともあります。「大人らしさ」という規範が強まると、感情の居場所が狭くなります。逆に、絵本を読む大人の姿が当たり前になると、「未完成である権利」が社会に戻ってきます。完成を急がない文化は、傷を塞ぐ時間を尊重します。絵本ブームは、社会が「急がないこと」の価値を再発見し始めている兆しにも見えます。

“Good design is actually hard to notice.”

Donald A. Norman『The Design of Everyday Things』

良いデザインが目立たないように、良い文化は人を縛りません。静かに、しかし確かに支えてくれます。絵本が静かな人気を集める背後には、「目立たない支え」の連鎖があります。図書館の司書、印刷の技術者、書店の棚づくり。そこに「場づくり」という共通したデザインの思考が存在します。こうした視点は、たとえば「少子化なのに絵本市場が拡大している背景」を分析した東洋経済オンラインの記事「少子化なのに『絵本』市場は拡大の知られざる裏側」などでも触れられています。

家族という鏡

家族は、社会よりも近く、個人よりも広い存在です。絵本はその鏡面に、手垢を残しながら映ります。Kさんというデザイナーは、保育園帰りの子どもと書店に寄るのが習慣になったと話してくれました。子どもに読ませるために手に取った絵本が、いつの間にか自分の時間を救っていると気づいた夕方。キッチンの明かりの下で声に出して読むと、部屋の空気が少し柔らかくなります。「私もそうだ」と頷く大人は多いのではないでしょうか。

親と子の距離

親子の距離は、言い換えれば速度の差です。子どもは波のように寄せては返し、大人は線のように進もうとします。絵本の時間は、その速度を一度揃えてくれます。ページに置かれた絵と短い言葉に、二人の視線が同じ高さで重なります。そこで、子どものために用意した言葉のいくつかは、自分自身のためでもあったと気づきます。家族の会話に、余白の質が戻ってくるのです。

沈黙と対話のあいだ

声に出して読むとき、沈黙は敵ではありません。ページとページの間に生まれる短い間が、意味の揺らぎを許します。その間に、今日言えなかったこと、言わないほうが良かったことが、音にならないまま息をしています。家族の中で本当に必要なのは、議論よりも、この「間」の設計かもしれません。絵本は、間を教える教材でもあります。沈黙が破綻ではなく、つながりの条件になっていくのです。

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