万博フレンチに学ぶ“選ばれる中小飲食店”──皿の上の伝承が売上とブランドを変える

社会と文化の狭間で

個人と集団の境界を、社長はどう設計すべきか

ニュースは伝えてくれます。国際博覧会の会場で、日本人の料理長がフランスの食文化を受け継ぎ、世界中から訪れる来場者にひと皿ずつ差し出しているという事実です。「万博でフレンチを」と掲げられたその光景は、個人の技能だけでなく、集団の記憶が呼吸する場をつくり出しているのだと思います。レヴィ=ストロースは、「料理は自然と文化の媒介である」と述べています。火は自然を文化に変換する翻訳機であり、その翻訳はいつも少し「ずれ」を含みます。その「ずれ」こそが、文化を次の場所へ運ぶ車輪になっていると考えることができます。

万博という舞台は、巨大な共感装置でもあります。松明のように掲げられたキーワードが各国のパビリオンを渡り歩き、来場者の記憶に火を分け与えていきます。ここで目に見えないのは、皿の裏側にある「継承」というエンジンです。フランスの作法を受け継ぐ日本人料理長の動きには、彼自身の師からの視線、匿名の食堂での失敗、家族の食卓で覚えた沈黙が、微細な振動となって宿っています。文化とは、名前のない手の連なりでできているのだと感じます。

この「名前のない手の連なり」を、中小飲食店の社長は自店の経営にどう翻訳できるかがポイントになります。たとえば、常連客が「ここは落ち着く」と感じる理由は、内装や価格だけではありません。店主やスタッフの手の動き、声のトーン、メニューの変わり方、そのすべてが「小さな万博」のように、その店ならではの世界観を形づくっています。

文化が癒すものと、壊してしまうもの

文化は人を癒す力を持つ一方で、人を壊してしまう危うさも抱えています。ある地域の味が別の土地で「正統」として掲げられるとき、その場所で暮らす人たちの日々の料理が「周辺」に追いやられてしまうことがあります。社会学者のボードリューは、「味覚は社会化された選好である」と述べました。つまり、舌はいつも社会と一緒に食べているということです。だからこそ、万博のような場で提示される「正典」の美しさは、包摂の力と排除の影を同時に孕んでいるのだと理解する必要があります。

とはいえ、私はそこに希望も見たいと感じます。文化は壊す力を持つからこそ、癒す力も持っています。両者を分けるのは「デザイン」です。パイン&ギルモアは著書『Experience Economy』で、「仕事は舞台であり、すべてのビジネスは劇場である」と語りました。舞台の明かりの当て方ひとつで、同じ台詞が嘘にも真実にもなってしまいます。飲食業の現場における「文化の見せ方」は、単に美しい皿を出すことではありません。人の心が安全に揺れるための手すりを、見えない場所に用意することだと言えます。

万博級の体験は、日常のひと皿にも降りてくるものです。

中小飲食店の現場でできる「万博級」体験設計

「万博のような舞台は特別だから、自分の店では無理だ」とため息混じりに感じる必要はありません。中小規模の店でも、体験設計は十分に実現できます。それは資本の勝負ではなく、物語の編集の問題だからです。食文化の継承は、そのまま企業ブランドの継承です。つまり、「この店は何者で、なぜここにあるのか」を五感を通じて丁寧に伝える仕事だと言えます。

  • 開店の「儀式」をつくる:最初の水、最初の挨拶、最初の音楽など、毎日の幕開けに一貫性を持たせるようにします。
  • シグネチャーメニューを定義する:一皿の「テーマ曲」を決めます。レシピだけでなく「いつ」「誰と」出すかまで設計します。
  • 五感の台本を用意する:光・温度・音・香り・触感の順番を意識し、偶然任せではなく、戦略的に組み立てます。
  • 物語の余白を残す:説明し過ぎず、想像の介入余地を残します。お客様は物語の「共犯者」になってくれます。
  • 継承の可視化:レシピの来歴や道具の履歴を「声に出して」伝えます。壁にも、メニューにも、スタッフの言葉にも語らせます。
  • 地域との往復:仕入れ先や生産者を「人物」として紹介し、皿の外側まで世界を広げます。

これらは高価な内装や最新機器より前に、今日からでも始められる「編集」の工夫です。スタッフの教育もまた編集の一部です。訓練とは、手順を暗記させることではなく、揺らぎに気づく筋肉を育てることです。お客様の表情の一ミリを見逃さない目は、どんな設備よりも大きな資産になります。私は、万博の大きな光を、町の小さな店に移し替えるこの手間にこそ、「文化の未来」が宿っていると感じています。

また、こうした体験設計を経営視点から解説している外部の論考として、経済産業省や観光庁が発信する「食と観光」の資料も参考になります。たとえば、経済産業省のサービス産業政策ページや、観光庁の「食と観光」関連情報などです。数字と政策の視点を合わせて読むことで、自店の立ち位置を客観的に見直しやすくなります。

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