
発酵ブームの陰で原料リスク──農水産×中小企業社長の守り方
社会と文化の狭間で

個人と集団の境界
ニュースは、世界の賞賛を次々と伝えます。「日本の“発酵食品”が世界でブーム」という見出しは、NHKの特集でも大きく取り上げられています。一方で、「供給のリスクが高まっている」という短い文が、私たちの生活と経営に長い影を落とします。集団としての歓喜と、個人としての戸惑いが、同じ紙面の中で並びます。市場が拡大するほど、素材の取り合いは起こりやすくなり、流通の遅延も増えていきます。
農業・水産業という一次の現場は、海と空の機嫌に強く左右されます。とくに中小規模の生産者や加工業者は、原材料の仕入れに敏感であり、「売れるのに作れない」という板挟みに陥るリスクを常にはらんでいます。喜びが増えるほど、心のどこかで扉をかけるような感覚が生まれます。守りたいものが増えるからこそ、慎重さも増していくのです。
「雨ニモマケズ、風ニモマケズ。」
宮沢賢治『雨ニモマケズ』
私は、文化とは「時間の貯金」だと感じます。発酵はとくにそうです。麹菌の呼吸、樽の木の年輪、潮の機嫌。これらは一朝一夕には増産できません。ブームは短距離走者の息を求めますが、発酵は長距離走の心臓で回ります。ここに、構造的なズレが生まれます。社会は速さを欲しがり、文化は遅さを抱えています。この「遅さの価値」をどれだけ社会とマーケットが受け入れられるかが、発酵ビジネスに取り組む中小企業の生き残り戦略を左右するポイントになります。
この視点は、以前取り上げた「コメ高騰と農政の迷走を超える小売戦略」の記事とも共通しています。価格やブームに振り回されるのではなく、「時間を味方につける経営」が、中小企業にとっての重要なキーワードになっているのです。
文化が癒すもの/壊すもの
発酵は、人を癒します。家庭の食卓で味噌汁をすする朝の静けさは、心の隙間に小さな温度を残します。一方で、行き過ぎたブームは文化を壊すこともあります。過剰な需要は素材の偏りを生み、漁場は痩せ、畑は休む時間を失います。原材料の確保に追われる小さな蔵に、休日は薄くなり、家族の会話は短くなっていきます。文化は暮らしの中にあるからこそ、暮らしが疲れると文化も疲れてしまいます。
だからこそ、守らなければならないのは「速さ」ではなく「余白」だと感じます。余白が心を守り、心が味を守ります。この点は、農林水産省の発酵食品関連ページが指摘する「持続可能な生産体制」の議論とも通じます。生産量の拡大だけではなく、「続けられる働き方」と「守りたい味の優先順位」を経営の中に組み込むことが、これからの社長に求められる視点です。
ここで、損失回避の視点を社会設計や経営設計に生かす道が見えてきます。「失うのが怖い」という心は、ときに変化を拒む一方で、「守る」ための創意を育ててもくれます。中小企業が、供給の揺れから自分の仕事と味を守るために選べる方法は、派手ではありませんが、確かなものです。今日の不安を、明日の段取りと社内のルールづくりに変えていくことで、損失回避の心理を「守りの戦略」に昇華することができます。















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