1億枚の安心、8割の同調?「みんなが持つ」マイナンバーが映す権力と世論の設計図

権力構造の奥底にある構図

「みんながやっている安心感」を推進力に変える技術は、政治の古典に近い。多数派の可視化は正当性の演出であり、反対意見のコストを上げる柔らかな統治だ。ここでカードの枚数は、単なる枚数ではなく「支持の代用品」として振る舞う。行政が制度の善し悪しを語ると角が立つ。だから枚数を語る。枚数は反論しづらい。ある議員が「国民の8割が選んだ」と述べれば、政党の広報は「国民の信頼」と言い換える。誰も嘘はついていない。しかし、そこには「持っていない人」と「持っているが使いづらい人」の存在が希薄化される構造が含まれる。この構造こそが権力の中核であり、批評の対象である。

政策決定の舞台裏

政策は往々にして「専門家会議→試行→横展開→KPI提示」という順で拡張される。ここに市場の論理が接続され、民間の受託体制が組まれる。KPIが「交付枚数」「保有率」に寄れば、現場のインセンティブは発行促進へ傾く。説明会、ポイント施策、広報キャンペーン—どれも合理的だ。だが、KPIに「例外対応の質」「自治体格差の縮小度」「オフライン窓口のUX」などが十分に入らないと、枚数の影で体験の粗さが残りやすい。これは制度の失敗というより、測定の偏りに近い。政策学の初歩にある通り、測れないものは後回しになりがちだ。だからこそ、測ること自体が政治なのだ。

思想と現実の乖離

思想の側から見ると、デジタルIDは「権利のポータル」にも、「監視のハブ」にもなる。どちらに近づくかは運用のデザイン次第だ。日本の政治文化には、「みんなと同じなら安心」という穏やかな保守性があるとも指摘される。社会的証明はその文化と相性が良い。だから制度は「標準」の地位を得るほど、批判は「空気の読めない声」に移されやすい。ここで重要なのは、「標準」を選ばない自由の担保だ。少数派のためのルートが、コストやスピードで露骨に不利になっていないか。行政・自治体がこの点を丁寧に磨けば、制度は思想の危うさから一段身を引ける。逆にここを怠ると、利便の名のもとに萎縮が進む構図に近づく。

「みんな」が安心の根拠になるとき、「みんな以外」は自由の試金石になる。

改革提言:権力と報道の関係再設計

  • 枚数KPIの多元化:交付枚数・保有率に加え、「利用満足」「例外対応満足」「自治体間格差指数」を公式ダッシュボードに併記する。
  • 自治体現場の裁量強化:窓口の人員・訓練・回線投資を「交付枚数依存」ではなく、住民属性に応じた加重配分で行う。
  • オフライン・等価ルートの整備:「持たない」選択を罰しない。紙・対面のルートを速度・費用面で実質等価に近づける。
  • 監査の市民参加:市民監査委員と第三者機関による「利用者体験監査」を年次で実施し、自治体レベルで公表する。
  • メディアの数字素描:見出しに枚数を置くなら、副題に「未利用2割の内訳」「地域差」を必ずワンセンテンス添える編集基準を。
  • 社会的証明の開示:キャンペーンで「多数」を用いるときは、母数・時点・定義を明示し、心理誘導の透明化を図る。

これらは技術的に難しくないが、政治的には面倒だ。なぜなら、枚数一本の成功物語は楽だからだ。しかし、行政の成熟とは面倒を引き受ける体力のことでもある。自治体こそ、住民の個別事情に最も近い現場だ。そこでの工夫が、国家的制度の人間味を規定する。

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