岐阜に降る光、移住者の揺らぎから学ぶ「地方中小企業の人材・組織戦略」

人の心に宿る揺らぎ

小さな違和感の正体

引っ越しの理由を問われると、人は大きな名目を探します。転職、結婚、介護、災害。けれど、その手前にある「うまく言えない変化」を見逃すと、心の体温計は狂ってしまいます。Kさんが岐阜に再び根を下ろしたとき、その前夜には小さな違和感がいくつも積もっていました。ノートに書かれたToDoに、意味が薄くなっていく瞬間。予定通りのはずの一週間が、薄い紙の束のように風にあおられて、指で押さえていないと飛んでいってしまいそうな心もとなさ。移住はしばしば「飛ぶ」ことだと思われますが、実際は「押さえる」行為の連続かもしれません。押さえる指の位置を変えるために、私たちは場所を変えるのだと思います。

「あなたがいる場所に、あなたはなる」

W.ミッチェル『場所の詩学』

ユングは、個人の無意識が集合的無意識と交わる接点に象徴が立ち上がると考えました。移住のとき、象徴は増えます。山の稜線、川の音、町の匂い。それらは心の中で形を持ち、やがて新しい自己像の部品になります。だから私は、移住者の「違和感」を病的に扱うことには慎重でありたいと思います。違和感はセンサーであり、危機のアラームだけではなく、好奇心の点灯でもあるからです。「心は窓のように、風を確かめるために少しだけ開く」と私は感じます。その開閉に、個人の勇気と地域の温度が、静かに作用し合います。

その痛みを言葉にするということ

言語化は、痛みを消す魔法ではありません。けれど、痛みの輪郭を「触れることができる形」に変えてくれます。ウィニコットは「一人でいられる能力」を成熟の兆しと呼びましたが、それは「一人で抱え込むこと」とは違います。Kさんは、自身の再移住を「偶然」と笑いながら、何度も「聞いてくれた人がいた」と話してくれました。耳のある場所に、人は少しずつ本音を置いていきます。置かれた本音はやがて、その場所の文化を変えていきます。会議室の机の固さ、SNSの文字数の制約、隣に座る誰かの息遣い。その全部が、心の翻訳機を調整していくのだと思います。

「語ることは、世界を持ち直すこと」

ハンナ・アレント『人間の条件』

だから、地方創生は「語る場」を育てる仕事なのだと感じる人もいるでしょう。数字や指標は必要ですが、物語は別の層で人を支えます。Kさんの物語は、たまたま岐阜に根を張りましたが、そこに通奏低音のように流れるのは、自分を語る勇気と、語りを受け止める共同体の柔らかさでした。「私もそうだ」と胸の奥で呟ける余白が、地域の未来の輪郭を、少しだけやわらかくしていきます。中小企業の社長にとっても、社員や移住者が自分の言葉で語れる場を整えることは、採用・定着・組織活性のすべてに直結する経営テーマだと言えます。