岐阜に降る光、移住者の揺らぎから学ぶ「地方中小企業の人材・組織戦略」

社会と文化の狭間で

個人と集団の境界

岐阜のまちは、山の等高線と川の流路が、組織の気質にも影を落としているように感じます。地形と産業は、人の時間の使い方に似てきます。中小企業の朝は早いです。作業台を拭く布の湿度、機械のウォームアップの音、会釈の角度。そこに、移住者の時間が持ち込まれると、微細な違いが共鳴を起こすことがあります。会議で沈黙が長く続いたとき、Kさんはあえて「待つ」ことを選んだと言います。都市部で鍛えられたテンポよりも一拍遅いリズムに身を置くと、別の発言が生まれることがあります。境界は、厚い壁ではなく、可動式の襖のように開閉していきます。そこに、関係人口と呼ばれる人々の出入りが生まれます。

「弱い紐帯が、橋になる」

M.グラノヴェッター『弱い紐帯の強さ』

ゆるやかなつながりは、企業の中に新しい道をつくります。たとえば、地元の製造業にデザインの視点を持ち込む移住者。日々手に取っている素材の質感に、別の市場の意味が重なる瞬間です。あるいは、商店街のSNS発信を、週1回だけ手伝う関係人口。定住でも通過でもない関わり方が、組織の空気を微細に揺らします。その揺れが、古い棚の奥にしまってあったアイデアに光を当てることがあります。岐阜県でも「岐阜圏域のまちづくりフォーラム」のように、交通やまちづくりをテーマにした官民の対話の場が設けられています(参考:岐阜圏域のまちづくりフォーラム)。こうした場に、地域の中小企業がどう関わるかは、今後の競争力に大きく影響していきます。

文化が癒すもの/壊すもの

文化は、町の免疫のようなものだと感じることがあります。祭りは炎症を鎮め、歌は呼吸を整えます。だが同時に、文化は排除の回路を持つこともあります。長く続く暗黙知は、新しい視点に対して無口に厳しくなることがあります。Kさんは、祭りの準備で箸の並べ方を間違え、笑われたことがあったそうです。誰も悪気はありません。けれど、笑いの温度が、外から来た人の皮膚には鋭く触れるときがあります。ここで「壊す」はなにかを捨てることではなく、「ほどく」に近いのだと私は感じます。結び目を少し緩め、結び直す。まちづくりの現場では、ほどき方の美学が問われているように思います。

「伝統は、風にほどかれて生き直す」

どこかの祭りの納屋が教えてくれたこと

この「ほどく」は、企業の組織文化にも響きます。新人の提案を「前例がない」で止める癖、会議で「空気を読む」を正解にする習慣。そこに移住者が入ると、新しい視点が「外気」として入り、密度が高まりすぎた空気がわずかに薄まります。薄まることで、遠くが見えることがあります。地域ブランド価値も同じです。ブランドはロゴではなく、日常の手触りの総体だと私は思います。市場の声、工場の匂い、子どもの笑い声。その全部が「ここで買う理由」になります。移住者はしばしば、それを言語化する翻訳者としての役割を果たします。中小企業の社長にとっては、こうした翻訳者をどう迎え入れ、どこまで任せるかが、地方創生時代の重要な経営判断になります。

Putnamが語った社会関係資本は、絆の太さだけでなく、結び目の多様さでも測られるのだろうと感じます。岐阜の小さな企業に、都市部から来た複業人材が月に一度入り、外からの顧客の視線を持ち込む。Kさんのように、定住と越境を行き来する人が、社内の議論に新しい比喩を補給する。たとえば「自社を山にたとえるなら、どの尾根が見せ場か」といった問いが、社内の言葉を少し変えます。それは単なるコンサルタントの言葉とは違い、生活の湿度を帯びた声になります。

なお、News Everyday の地方創生関連記事でも、関係人口や移住者の視点を通じて、中小企業のブランドづくりや採用戦略を考える記事が増えています。本稿とあわせて読むことで、抽象的な概念を実務に落とし込むヒントが得られるはずです。

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