岐阜に降る光、移住者の揺らぎから学ぶ「地方中小企業の人材・組織戦略」

家族という鏡

親と子の距離

移住は個人の話に見えますが、家族の対話の物語でもあります。親は地図を広げ、子は目の高さで世界を測ります。Kさんの家庭では、夕食の席に小さな地球儀が置かれました。高知と岐阜の距離を指でなぞり、指の腹で山脈を越えるごっこをする。子は笑い、親は安心します。祖父母の声は電話の向こうから届き、画面の向こうの味噌汁の湯気と、こちらの味噌汁の湯気が、どこかで混ざるような錯覚を覚えます。家族の距離は、時間の質で埋められると感じる人もいるでしょう。月に一度の長い電話、年に二度の長い滞在。それぞれの長さが、静かに関係の深さに変わっていきます。

「家族は、私の最初の社会」

ドナルド・ウィニコット

親子の距離感において、移住は「説明の練習」でもあります。なぜここなのか、いつまでなのか、何を見ているのか。説明は、子どもの言葉の筋肉を育てます。自分の居場所を語る力は、自己肯定感の核になります。逆に、説明しない優しさもあります。疲れた夜に、地図を畳んで「今日はここまで」と言う勇気です。家族の対話は、正しさよりも、呼吸の合い方に支えられているのだと感じます。

沈黙と対話のあいだ

沈黙はときに、最良の対話になります。移住をめぐる小さな軋みは、言葉にすると角が立ちます。角が立つと、日常の動線にひびが入ります。だから、キッチンに立つ背中の距離、テレビの音量、洗濯物をたたむリズム。そうした非言語の層で、関係は何度でも調整されていきます。Kさんは言います。「この土地の沈黙に、少しずつ馴染んでいきました」と。岐阜の沈黙は、山の影のように長く感じられます。長い沈黙に耐える力は、組織でも家族でも、希望の持久力になるのだと思います。

「沈黙は、言葉の母である」

G.ブーバー

やがて、沈黙は小さな言葉を呼びます。「ありがとう」「ごめん」「また明日」。短い言葉ほど、心は丁寧に置かれます。家族の会話が地域の会話につながるとき、まちは優しさの回路を増やします。企業の朝礼で交わされる「おはよう」の手触りが、少し柔らかくなります。誰かが遅刻した理由を、詮索ではなく想像で受け止める。その積み重ねが、地方の生産性の正体かもしれないと感じる人もいるでしょう。社長が「沈黙と短い言葉」をどう扱うかは、社員の心理的安全性や、現場からの小さな報告を拾えるかどうかに直結します。

未来へのまなざし

希望という名の習慣

希望は、感情ではなく習慣だと私は感じることがあります。毎週同じ時間に、町の誰かと会う。月に一度、社内で小さな実験をする。年に一度、家族で遠出をする。習慣は、季節のように気づけば背骨に馴染みます。Kさんは、地域の企業で週に一度、外の視点を持ち込む読書会を始めたといいます。哲学書でも、絵本でも、心理学でも構いません。短い引用を手がかりに、自分の仕事の意味を言葉にします。そこに現れるのは「正解」ではなく、「私の言葉」です。言葉が増えると、選べる行動が増えます。選べる行動が増えると、私たちは怖さに名前をつけやすくなります。

「希望は、朝の習慣に宿る」

ヴァーツラフ・ハヴェル

企業にとっての希望も同じです。関係人口の活用、新規採用の視座、職人技の言語化。これらは「プロジェクト名」をつけた瞬間に動き出します。名前は、未来の取っ手になります。岐阜のある会社では、移住者と地元社員がペアになり、互いの仕事を半日だけ交換する「影の交換日記」を試しました。外から来た手が、内側の手の癖を見つける。内側の目が、外の目に映る自分を知る。その往復が、ブランドの内圧を整えていきます。

こうした取り組みは、「社長が読む理由」としての経営メリットがはっきりしています。移住者との読書会や仕事交換は、採用広報にもなり、社員エンゲージメントの向上にも直結します。また、岐阜県や飛騨市では、地域ファンづくりサミットのような関係人口施策も広がっています。自社だけで完結させず、こうした外部の場と接続することで、地方企業は「人材の循環」をつくりやすくなります。

“変わらないもの”の中にある力

変わらないものは、変化の敵ではありません。山の稜線、川の流れ、方言の響き。そうした「変わらないもの」は、変化のスピードに人が酔わないための錨になります。私は、地方創生という言葉の強さに、私たちがときに疲れてしまうこともあると感じます。創生というより、まずは息継ぎを整えることが先かもしれません。息が合えば、合図はいりません。合図がいらなければ、偶然が味方になります。Kさんの「想像もしなかった今」は、変わらないものの静けさに、変わっていく自分を預けることで、ようやく立ち上がったのだろうと思います。