
戦後80年とクリエイティブ業──中小企業のブランド戦略をどう変えるか
未来へのまなざし

希望という名の習慣
希望は感情というより、毎日の小さな習慣だと私は感じています。朝、電気ケトルに水を注ぎ、湯気が立ちのぼるのを待つこと。メールに一言「ありがとうございます」を添えること。会議の冒頭に、最近見た風景を5分だけ共有すること。レイアウトの余白に、読む人の呼吸を一回分置くこと。こうした些細な所作が、希望の重心を静かに支えます。戦後80年の節目に「自分にできること」を問い続ける姿勢は、大文字の「希望」ではなく、小文字の習慣にこそ宿っているのではないでしょうか。RADWIMPS野田洋次郎さんが見せた静かな覚悟は、派手なスローガンを必要としない、生活の筋肉のように私には見えました。
クリエイティブ・デザイン業にできることは、おそらく大きく三つあると感じます。
- 記憶の設計:アーカイブを「検索できる箱」ではなく、「語り直す装置」にすること。
- 共同体の呼吸を整える導線:情報の配置で、丁寧な合意形成を助けること。
- ケアの規範化:やさしさを手順に落とし、再現可能なプロセスとして共有すること。
これらは、企業のサステナビリティ指標にも、財務諸表には載りにくい無形資産にも直結していきます。たとえば「記憶の設計」は、会社の歴史を年表化するだけではなく、過去の問いを現在に引き継ぐための仕組みとして運用するイメージです。過去の判断を一方的に肯定も否定もせず、現在の状況で再検討する会議体を設けることは、経営判断の質を高めるうえで有効です。「導線」は、意思決定プロセスの中に「誰が、いつ、何を、どのように受け取ったか」というログを残し、関係者の理解度と納得度を可視化することです。「ケアの規範化」は、フィードバックの言い方や面談の頻度を、センスや属人性だけでなく、設計として整えていくことを意味します。センスに頼りきる疲れを、設計に置き換えることで軽くすることは、多くの中小企業の現場にとって現実的な打ち手になるはずです。
“変わらないもの”の中にある力
時間は流れ続けますが、その中で変わらないものもたしかに存在します。変わらないものは、頑固さの別名ではなく、支えの別名だと私は思います。たとえば、「人は声を必要とする」という事実です。掲示板が壁からスマートフォンに移っても、「気づかれたい」「分かち合いたい」という欲求そのものは変わっていません。デザインの仕事は、その欲求の通り道を磨く営みだといえます。戦後80年という節目に、私たちは「変わらないもの」を確認し直し、「変えるべきもの」を静かに更新していく必要があります。野田さんの「自分にできること」という姿勢は、変わらないものに根をおろし、変わるものへ枝を伸ばしていくあり方に見えました。私もそうありたいと強く感じます。
「われわれは探し求め、そして見出します」
T・S・エリオット
「見出す」という行為は、いつも新しい始まりを伴います。クリエイティブは「終わらせる技術」であると同時に、「始め直す勇気」でもあります。戦後という大きな文脈の中で、私たちの小さな始まりは、たしかに意味を持ちます。雨が上がった午後、光は別の角度で部屋に差し込みます。同じ机、同じ紙、同じ道具であっても、そこに宿る気持ちは少しずつ変わっていきます。心は天候のように変わり、戻り、育っていきます。このゆっくりとした変化を「希望」と呼ぶことができるような経営と表現を、私たちは選び取っていきたいのだと思います。















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