
年収の壁の向こうで、文化は息をするーー行政が聞き取るべき静かな脈動
現代における芸術教育の意味
学校の音楽室は、地域の鼓動計だ。机の傷、譜面台の傾き、チョークの粉の匂い。そこに流れているのは、経済指標ではない体温である。芸術教育は費用対効果で測りにくい。だが、測れないからといって弱いのではない。測る器を持たない側の準備が、まだ整っていないだけだ。行政に求められるのは、短期の効率と長期の蓄積の二重視力である。10年先、20年先に、地域がどんな音色で鳴っていてほしいか。その音色を今、子どもたちの耳に仕込むための投資だ。

静かな耳を育てること。それは、未来の議論が聞き漏らす小さな声を、拾い上げる力を養うこと。
年収の壁は、講師の雇用形態に裏影を落とす。週の授業コマを一つ減らす、そのたった一つの削減が、合唱の和声を一枚薄くする。自治体の文化ホールはスケジュールを詰められず、地域合唱団は指導者不在で休眠へ向かう。感性の教育は、連なってこそ機能する。ドミノの最初の一枚を、どこに置くか。行政は、極小の調整が風景全体に及ぼす波形を、音として想像してみてほしい。
壁は数字の線ではなく、呼吸の乱れである
呼吸の政策へ
現代の教室で必要なものは、最新機材だけではない。安心して時間を重ねられる人の配置だ。週15時間のライン、月の残業の端数、年度末の更新。制度の切れ目が、学校や文化施設の音の継続性を断つ。年収の壁の引き上げが検討されている今こそ、教育委員会、文化振興課、福祉部局が同じテーブルで、労働のリズムを編み直すべきだ。壁の移設だけではリズムは整わない。合奏には、指揮の手が必要だ。















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