六百万の静寂、一本の菓子棒──リコールの影に、感性の光を

歴史的背景と女性表現者の軌跡

歴史は、ときに欠けで進む。女性表現者たちは、欠けを創造に変える達人だった。上村松園は静の極を描き、小倉遊亀は色の温度で息づかいを刻み、草間彌生は反復の中に心の荒波を収め、塩田千春は見えない往還に糸の橋をかけた。彼女たちの作品には、世界の危うさを映す「質感の警報」がある。触れれば、冷たさも熱さも、同時に掌にのる。私たちがいま直面するのは、巨大な事故ではない。だが、信頼が微細に削られる音は、聞き逃してはならない。女性たちが織りついだ感性の系譜は、微細な音を拾うための耳を、私たちに手渡してきた。

与謝野晶子は「君死にたまふことなかれ」で時代の剣を受け止め、茨木のり子は「自分の感受性くらい」で感性の責任を引き受けた。詩は恐れを正面から見つめる道具だが、断罪の言葉に堕ちることを嫌う。恐怖訴求は刹那の推進力を得るが、文化が目指すのは持続可能な呼吸である。女性表現者の歴史は、その呼吸の持久力を私たちに教えてくれる。最悪の結果を回避するために必要なのは、煽りではなく、体幹の筋肉。つまり、静かに立っていられる力だ。

「欠け」を継ぐ美術史の授業

私は授業で、展覧会の「展示替え」を模した演習をする。ある一角を丸ごと撤去し、空白をどれだけ美しく保てるかを考える。照明の角度、床の反響、壁の呼吸。そこに臨時の案内を添える文言を、5→7→5の短いリズムで紡ぎ、来場者の不安に過剰な形を与えないよう、ただし無視もしないよう、慎ましい橋をかける。自主回収の掲示も、それに似ている。安全性は問題なし、と小さく灯し、回収手続きの導線を明るく照らし、謝意と再発防止の意思を温かく置く。文章の温度は、場の温度になる。

関連記事一覧

  1. この記事へのコメントはありません。