
ビーチバレー“恋愛ペア”に学ぶ 社長のための心の設計図
社会と文化の狭間で

個人と集団の境界
砂のコートの四辺には、明確なラインが引かれています。その内側では二人が一体となりますが、外側には観客、メディア、スポンサー、学校や地域の文化が広がります。社会はいつも、二人に期待と解釈を投げ込みます。集団と個人の境界は、天気のように変わります。晴れの日の称賛は、雨の日の沈黙と対をなします。クリエイティブ・デザイン業でも同じで、チームの成果は個人の評価に、個人の癖はチームの文化に、互いに染み込んでいきます。
文化社会学の言葉を借りれば、ハビトゥスは現場の身体化されたルールです。右から回り込む癖、朝のスタンドアップでの声の高さ、初稿の提出フォーマット。人は文化の影響を受けながらも、関係の中で自分のルールを書き換えていきます。ペアは小さな社会です。小さな社会が整うと、大きな社会に出たときに迷いにくくなります。逆に小さな社会が荒れると、外の風景は過剰に残酷に見えます。境界は、絵を描くための余白でもあると感じます。
“Let there be spaces in your togetherness.”
Kahlil Gibran
一体化は心地よいものですが、距離は呼吸を保ちます。ギブランの言う「間」は、関係を保つための最小限の海です。デザインの現場なら、相互レビューのルール、休日にメッセージを送らない約束、最終決定者を明確にすること。ペア競技なら、視線や合図で承認を返す、失敗の責めを滞在させない、成果と関係を分けて考える練習をすることです。距離をもつことは、優しさを捨てることではありません。むしろ優しさを長持ちさせるための器なのだと思います。
文化が癒すもの/壊すもの
文化は、私たちの心を癒します。広場の祭り、校歌、地域のスポーツクラブ、会社の合宿。そこには、個人の物語が他者の物語に接続される瞬間があります。共通のリズムは孤独に穴を開け、ありふれたスローガンが不意に心を支えることもあります。一方で文化は、私たちを壊すこともあります。過剰な同調、性別役割の固定、失敗を許さない空気。文化は空気であり、空気は見えにくいものです。見えにくいものほど、私たちを簡単に傷つけます。
ビーチバレーの「まるで恋愛」という語感にも、文化の眼差しが潜んでいます。二人の関係を恋に準えることで、わかりやすさは増しますが、同時に言えなくなることもあります。恋では語れない関係性、恋よりも古くて新しい労働の共同体。クリエイティブ・デザイン業におけるバディ制度やピアレビューは、恋愛の比喩では収まりきらない豊かさを持ちます。比喩は道しるべですが、終点ではありません。私たちは比喩を渡り、次の固有の言葉を探す旅に出ていきます。















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