
なぜ今“フィルム”なのか?—デジタル時代に「体験価値」で差別化するデザイン経営
文・構成:長井 理沙(ストーリーテラー心理文化解説者)
- Context(背景):即時と最適化が支配するデジタル経済です。
- Emotion(心理):速さの中で失われた手応えを求める渇きがあります。
- Light(視点):「待つ行為」自体を価値にする創造が回復しています。
雨がゆっくりと屋根を叩きます。手すりに残る雫の粒が街灯を拾い、冷たい光を指先に移します。わたしは鞄の底にある古い金属の重みを確かめます。巻き上げレバーの小さな抵抗、シャッター幕の薄い呼吸。目の前の世界が、急に「待ってくれる」気がするのです。
目次
- 導入部:心の奥で鳴った音(ニュースとの出会い)
- 背景と心理
- 現場・家族の視点:クリエイティブ・デザイン業の食卓から見えること
- 【Q&A】社長の疑問に答えます
- 考察と受容:不完全を受け入れる設計
- 結び:雨上がりの光のように
導入部:心の奥で鳴った音(ニュースとの出会い)
雨の音が微細に変わります。強く、弱く、遠く、近く。部屋の隅のフィルムカメラは黙ったままですが、確かにそこにいます。あの小さなレンズが引き受ける光は、今夜の湿度や、わたしの呼吸、胸の奥にたまった言葉の屑まで写してしまいそうで、少し怖くて、少し嬉しいのです。
NHKで「フィルムカメラ人気再び なぜデジタル世代が夢中に?」というニュースが流れました(外部リンク:NHKニュース)。デジタルネイティブと呼ばれる若い人たちが、巻き上げや現像の「手間」に夢中になっているという内容です。現像所が忙しくなり、メーカーの動きも出てきています。速さが正義の時代に、遅いものが愛されているのです。
ニュース映像に映るのは、手袋をした指がフィルムを装填する一瞬の緊張、暗室の赤い光、仕上がりを待つ胸の高鳴りでした。クリック一つで届く買い物、スワイプで流れていく関係、予測された結果。すべてが速く、賢く、正しくなるほど、わたしたちの「鈍さ」を肯定してくれる場所は減っていきます。
わたしは以前、仕事の現場で「早く結果を出す以外の価値」を説明できずに、胸の奥が冷えたことがあります。焦りは膝に溜まり、足から体温が抜けていきました。そこに残ったのは、「正しさ」より前にあるはずの手触りを見失った感覚でした。この感覚は、今でも不意に戻ってきます。
フィルムカメラの巻き上げレバーを親指でゆっくり引きます。カチ、と軽い音がして、わたしの内部の時間が少しずれます。ずれは痛みを含みますが、その痛みが、わたしの固有の輪郭を縫い直してくれる日もあります。
このニュースを見た夜、わたしは気づきました。フィルム人気は懐かしさの返り咲きではありません。「待つこと」「選ぶこと」「失敗を受け入れること」という、デジタルが優しく隠してくれた不器用さを、自分の武器にする宣言なのです。クリエイティブの世界では、それが差別化になり、体験価値の核になります。採用文脈なら、若手が求める「仕事の手応え」にも直結します(内部リンク:若手が辞めない会社の設計図)。

「速さの中で、待つことそのものが価値になります。」













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