大たまごっち展に学ぶ「体験で売る」5つの設計——体験がない会社は価格でしか選ばれなくなる

背景と心理

「体験で売る」とは?言葉の重みと定義

「体験で売る」は、モノの性能や価格ではなく、出会ってから別れるまでの一連の感情曲線(ジャーニー)を設計し、その記憶自体に価値を置く考え方だ。かつての玩具は「機能」で選ばれた。しかし成熟市場では差はすぐ埋まる。惹かれるのは、そこに安心、共感、発見、儀式があるかどうかである。

古典的には、経験経済(Experience Economy)の議論がある。商品→サービス→体験→変容の階段を上がるとき、問いは「何ができるか」から「誰になれるか」に移る。たまごっちは持ち主に、ただの「操作する人」ではなく「ケアする人」という役割を与え、生活の物語に位置づけた。

この設計の核に「損失回避」がある。人は得る喜びより、失う痛みに強く反応する。たまごっちは、世話を怠れば別れが訪れる可能性を内包していた。だからこそ、私たちは携帯電話より先に、あの小さな卵を気にかけたのだ。痛みの可能性は、注意と愛着を呼び込む。

とはいえ、恐怖を煽るのが目的ではない。「別れ」や「休む」をどう優しく設計するかが鍵だ。展示にあった「お墓」は、罪を告げる壁ではなく、物語を完結させる祈りの場だった。終わりを丁寧に扱う体験は、始まりに光を投げかける。だから、また会いたくなる。

「別れまで設計された体験は、記憶にやさしく定着する」

ケアデザインの要諦

データに見る「心の揺らぎ」

感情の話をするときこそ、静かな整理がほしい。たまごっちという体験が呼び起こす「心の変化」と、それに応じる「社会の対比」をテーブルで見てみよう。

心の変化(個人)社会の対比(構造)体験設計の示唆
見守る喜びと、見守られる安心単身・共働きの増加で「ケアの分配」が課題にベビーシッター機能や「代わりに世話」などケアの委任設計
忘れてしまう不安と、失う痛み情報過多と通知疲れで「大切」が埋もれがち「間が空くとどうなるか」を優しく可視化(お墓・手紙)
世代をまたぐ誇らしさ共通の娯楽の分断(画面・アルゴリズムのパーソナル化)親子で同時参加できる場の設計(温泉・窓・同じグッズ)
コレクションの高揚と後ろめたさ過剰消費への自省と体験の希薄化「集める意味」を提示(歴史展示・語り直し・限定体験)
罪悪感の再訪と和解失敗に厳しいSNS世論の圧「失敗の共有」エリアで恥を分け合い、再挑戦を促す

たまごっちのブームは波のように訪れた。以下は公的報道やメーカー発表に基づく概観である。(年次は目安)

ブーム時期(目安)特徴示された体験価値
第1次1996年頃〜携帯型デジタルペットの熱狂的普及「ケアする自分」になる初体験
第2次2000年代半ば機能拡張・通信機能つながる・交換する遊びの社会性
第3次2009年前後小学生を中心に再燃日常生活との両立の工夫
第4次近年〜現在世代横断のリバイバルと展示体験「思い出の和解」と親子の共有儀式

注目すべきは、波が来るたびに「体験の厚み」が増していることだ。今回は会場という身体的な場が加わり、見て、触れ、名前を呼び、別れを祀ることまで含めて設計されている。つまり、「体験の全体性」を取り戻している。

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