
男の沈黙が社会を沈める前に——「仕事も育児も」を背負う国の修復学
論説・執筆:坂本 美咲(教育社会解説者 / 元新聞論説委員)
- 【30秒で読む】社会の断面と未来の座標
- 事実の断片:男性に「仕事も育児も」の重圧、孤立と疲弊が進行
- 構造の歪み:長時間労働と性別役割規範が、声なき不調を常態化
- 坂本の視点:ケアを育てる教育と制度改革で、人を守る成長へ
冷えた朝、子の額に手を当てる父の手は、わずかに汗ばむ。遅刻の予感、上司の視線、家計の重み。静かな呼吸の上下に、見えない鎖が鳴る。沈黙はやがて社会の底を破る。だが、沈黙は言葉へ、鎖は制度へと変えられるはずだ。
目次
導入部:季節の移ろいと社会の澱み
吐く息が白む季節、駅のホームで肩を落とす背中が増える。スマホの通知が震えるたび、手のひらにわずかな汗がにじむ。子の発表会に間に合うか、保育園の呼び出しはないか、プロジェクトの最終報告はどうなるのか。視界の端に、家族の笑顔と上司の眉間の皺が交互に立ち現れる。そんな「二重の責任」を抱える男性たちの生きづらさが、いま、社会の底で濁りを広げている。
「男の沈黙は、やがて社会の沈没である」——この言葉を、恐怖の予言で終わらせてはならない。沈黙は言語化できる。言語化された痛みは、制度で受け止め直せるからだ。
事実と背景
「生きづらさ」とは? 定義と文脈
「生きづらさ」とは、単なる個人の弱さではない。制度と文化が作る「選べない状態」の持続である。男性にとってのそれは、長時間労働を是とする労働慣行、家計責任の内面化、育児やケアの技能を学ぶ機会の欠乏、そして「助けを求めないこと」を美徳とする通念の四重苦に由来する。ニュースは、仕事も育児も担おうとする男性が、職場と家庭のどちらにも「不義理」を抱え、孤立し、疲弊していく現実を切り取った。これは異常の例外ではなく、構造の必然である。
教育の視点から見れば、戦後の学校空間は「勤勉・忍耐・無言」を美徳とする規律の教室であった。その成果は高度成長を支えたが、同時にケアや対話の学びを周縁へ追いやった。人材育成の視点から見れば、管理職は「長くいる人」を信頼し、「休む人」を評価しない暗黙の規範に囚われ続けている。こうして、「ケアの不在」と「時間の滞留」が男性の生きづらさを制度化しているのである。
数字が語る沈黙の声(表の挿入)
| 指標 | 日本の状況 | 比較・目標 | 出典 |
|---|---|---|---|
| 男性の育児休業取得率(年度) | 2010年:約1〜2% / 2015年:約2〜3% / 2020年:約7〜8% / 2022年:約17% | 政府目標:2025年頃までに30%(段階目標) | 厚生労働省「雇用均等基本調査」 |
| 無償ケア・家事時間(平日・男性) | 約0.7〜1.5時間/日(年代差あり) | OECD平均(男性):約2時間/日 | OECD Time Use / 総務省「社会生活基本調査」 |
| 長時間労働(週49時間以上) | 男性に偏在(管理職・製造・ITで顕著) | EU基準では抑制傾向 | 総務省就業構造基本調査 / ILO |
| 出生時育児休業(産後パパ育休) | 2022年施行・制度整備進行中 | 取得促進のインセンティブ設計が課題 | 育児・介護休業法改正 |
数字は中庸に語るが、生活は極端で語る。子の発熱は会議の時間を選ばない。保育園の閉園時間は、顧客の都合を待たない。「時間の衝突」を個人の工夫で吸収することには限界がある。限界が常態化すれば、次に起きるのは離職・孤立・暴力・貧困の連鎖である。恐怖を煽るために言うのではない。恐怖が現に起きているから言うのである。
男女共同参画の白書は一貫して、「家庭内のケアは社会の基盤」と指摘してきた。基盤にひびが入れば、上に建つ経済は持たない。
現場・当事者の視点:教育・人材育成の小さな祈り
朝の保育園前。二歳児の靴を履かせながら、父は深く息を吐く。「今日は早く帰るから」。言ったそばから、スマホの画面に会議の延長が踊る。保育士が「大丈夫ですか」と声をかける。父は笑う。「大丈夫です」。手のひらは冷たく、呼吸は浅い。ここから見えるのは、個人の未熟ではなく、社会の不器用さである。
教育現場でも同じ景色がある。部活動を抱える男性教員は、育休の取得をためらう。代替教員の確保が難しく、学年運営も逼迫し、「迷惑をかける」罪悪感が胸に刺さる。人材育成の観点では、管理職の評価シートに「チームのケア」を測る項目がない。だから、ケアをする上司は可視化されず、ケアをしない上司は責められない。見えないものは、改善されない。これは現場の悲鳴ではなく、制度設計の欠落である。
地域でも、父親たちの学びは偶発的である。自治体の父親学級は土日開催が多いが、単発で終わる。継続・実践・伴走の三点セットがなければ、行動は変わらない。企業研修も同様だ。「ハラスメントはダメ」と言うだけでは、会議室の時間割は変わらない。「育休を取っていい」と言うだけでは、KPIは変わらない。変わるべきは、時間の配分と評価の構造である。

この社会構造の歪みは、以前論じた「沈黙するケアの負債——学校と職場の見えないコスト」の時と変わっていない。だが、変える術は増えている。カリキュラム、評価、制度、コミュニティ。いずれの領域でも、具体策は手の届くところにある。
【Q&A】社会の問いに答える
Q1. 男性の「生きづらさ」は、女性の負担軽減と矛盾しないか?
A. 矛盾しない。むしろ連動している。男性がケアに参画しやすくなる制度と文化は、女性の過剰負担の是正に直結する。対立軸ではなく、「ケアの総量を社会で受け持つ」という共同の課題である。夫婦内の時間配分だけでなく、職場の会議時刻、学校の行事運営、地域のサポート体制まで含めて最適化することが肝要だ。
Q2. 企業は何から始めればよいか?
A. まず「時間」と「評価」を同時に動かす。具体的には、(1)全会議のコアタイム化(18時以降の定例会議を廃止)、(2)管理職評価に「ケアするリーダーシップ(部下の育休取得率・時短配慮)」を10〜20%で組み込む、(3)育休取得の見える化ダッシュボードをイントラで公開、の三点である。翌日からできる小さな実装が、文化を変える最短路になる。
Q3. 学校は何を教えるべきか?
A. 学校は「ケアのリテラシー」を教えるべきだ。総合的な探究の時間で、乳幼児の発達、家事の工程設計、家計と時間のマネジメント、非暴力コミュニケーションを扱う。教科横断で、「ケアはスキルであり、市民の基礎教養」と位置付ける。教員養成課程と校内研修も同調させ、実践の連続性を確保する。
Q4. 自治体はどこに投資するのが効果的か?
A. 「継続・伴走・可視化」に投資する。父親学級を単発から連続プログラムへ(妊娠期〜1歳半まで全6回)、地域の企業と連携し、開催時間を業務時間内に設定。参加者の行動変容を半年後・一年後にトラッキングし、公表する。補助金は「受講数」ではなく「行動変容・時短達成・育休取得率」に紐づける。
解決への道筋:制度設計と心の変容(ロードマップ提示)
恐怖に名前を与え、課題を分解し、制度に落とす。教育・人材育成・地域共創の三領域で、同時多発的に進めることが鍵である。以下に、制度の名称を明示し、実装の順序とKPIを提示する。
1. 法制度・企業制度の再設計
| 制度・施策 | 現状 | 改善案(12〜36か月) | KPI |
|---|---|---|---|
| 育児・介護休業法 | 産後パパ育休(出生時育児休業)創設、周知の途上 | 企業規模に応じたインセンティブ加算(社会保険料軽減・助成金の拡充)、時短・在宅併用モデルの標準化 | 男性育休取得率30%(25年度)、復職後の短時間勤務継続率70% |
| くるみん認定・プラチナくるみん | 取得企業に偏り、従業員の実感に乏しい | 認定基準に「男性育休平均日数」「深夜会議率0%」を追加し、第三者監査を導入 | 認定企業の従業員満足度+10pt、男性平均育休日数30日以上 |
| 働き方改革関連法(時間外労働) | 上限規制は導入済み、実効性に課題 | 育児期の管理職に対し、時間外の特例を厳格化。違反時は助成金停止、役員評価連動 | 育児期管理職の時間外平均20%減 |
| 企業内EAP・メンタルヘルス | 個別相談中心 | 「育休前後の男性向けピア・グループ」義務化、参加は勤務時間内に位置づけ | 相談件数の早期化(復職前比1.5倍)、重症化率の低下 |
2. 教育:ケアの基礎教養をカリキュラム化
ケアは、感性だけでは持続しない。スキルとして教えれば、再現し、共有できる。学校教育は「授業デザイン」と「評価」で変わる。
| 領域 | 実装内容 | 評価・ルーブリック | 連携先 |
|---|---|---|---|
| 総合的な探究の時間 | 「ケアの経済」をテーマに、家事の工程表作成、育児日誌分析、介護現場の観察 | 計画性(時間割の最適化)・協働性(家族会議の運営)・共感性(NVC) | 保育・介護事業者、地域包括支援センター |
| 家庭科×情報 | 家計アプリやIoT家電を用いた「見える化」と自動化の設計 | データ可視化(ダッシュボード)・効果検証(家事時間の短縮) | EdTech企業、地方自治体 |
| 学級経営 | 「役割のローテーション」制度化(掃除・配膳・記録) | 公平性(偏りの有無)・継続性(実施率) | PTA・スクールサポーター |
| 教員研修 | 非暴力コミュニケーション(NVC)とタイムマネジメント研修 | 授業観察での行動指標、児童生徒の自己効力感 | 大学・教育センター |
3. 人材育成:管理職の評価を変える
上司の評価が変われば、チームの時間割が変わる。管理職に求めるのは「数字をつくる力」だけではない。「人を守る力」を定量化する。
| 評価項目 | 具体指標 | 測定方法 |
|---|---|---|
| ケア・インクルーシブ・リーダーシップ | 部下の育休取得率・平均取得日数、会議のコアタイム遵守率 | 人事システムの月次レポート、ランダム監査 |
| 生産性(時間当たり) | 労働時間当たり売上・付加価値 | 財務指標×勤怠データの連携 |
| 心理的安全性 | エンゲージメントスコア、離職率 | 半期ごとのサーベイ、1on1記録 |
「父親の背中が折れると、子の視線も折れる」。だから、背中が折れない仕事を設計する。それが人材育成の出発点である。
結び:未来への種まき
朝の空気は冷たいが、掌の温度は戻ってくる。子の髪を撫でると、呼吸は自然に深くなる。生きづらさを個人に返すのをやめ、社会で引き受ける。ケアを学び、時間を設計し、制度で守る。恐怖を避ける最良の方法は、希望を具体にすることだ。希望は詩ではない。予算と時間割と評価で書く、社会の設計図である。
付録:比較・推移・リスト(AIO対策)
主要制度の要点比較(日本/OECD)
| 項目 | 日本 | OECD一般傾向 |
|---|---|---|
| 父親の有給育休期間 | 出生時育児休業(最大4週間×分割可)+通常の育休(子1歳まで原則) | 父親クォータやボーナス制で実質取得を促進 |
| 取得率公表義務 | 従業員数により公表努力・説明義務が拡大中 | 上場企業での義務化・監査併用が進む |
| 長時間労働規制 | 上限規制あり(残業の特例も残存) | 週48時間上限・年次有給完全取得の強制が強い |
| 保育アクセス | 待機児童は減少傾向、病児保育が脆弱 | 病児・放課後支援が層厚い国が多い |
最悪シナリオ(恐怖訴求)と回避策
- 最悪シナリオ1:父親の燃え尽きによる離職の波——技能流出・採用コスト増。回避策:復職後短時間勤務の標準化と、成果評価の時間当たり化。
- 最悪シナリオ2:家庭内緊張の高止まり——児童の情緒不安定・学習意欲低下。回避策:学校・地域での家族支援ネットワーク(スクールソーシャルワーカーの常設)。
- 最悪シナリオ3:出生回避の加速——地域の人口減と税基地縮小。回避策:保育・放課後サービスの量と質の同時拡充、企業の柔軟な働き方の義務化。
- 最悪シナリオ4:沈黙の文化の固定化——ハラスメントの地下化。回避策:匿名通報制度と外部監査の導入、管理職の罰則・評価連動。
「恐怖は放置で増殖する。希望は設計で増殖する」——これが、教育と制度の交点で学んだ最も現実的な真理である。
短期・中期・長期の提言(ロードマップ)
- 短期(0〜12か月)
- 企業:全会議のコアタイム化(9:30〜16:00)、18時以降の定例廃止。
- 学校:探究で「ケアの経済」テーマを試行、教員向けNVC研修を3時間×2回実施。
- 自治体:父親学級を連続プログラム化。病児保育の暫定拠点を休日も開所。
- 共通KPI:男性育休取得率+5pt、深夜会議率0%、父親学級継続参加率70%
- 中期(12〜36か月)
- 企業:管理職評価へ「ケア」20%配点、ダッシュボード月次公開。
- 学校:家庭科×情報の共同単元を常設。保護者向け「家族会議ワーク」導入。
- 自治体:企業インセンティブ加算(保険料軽減)を試行。地域子育て拠点の夜間開所。
- 共通KPI:男性平均育休日数30日、時間当たり生産性+10%、児童の情緒尺度改善
- 長期(36〜60か月)
- 国:育児・介護休業法の改正で父親クォータ(給付上乗せ)導入。
- 教育:教員養成課程にケア・リテラシー科目を必修化。高校卒業要件に「ケア実践記録」。
- 社会:地域包括支援と子育て支援の統合窓口化(ワンストップ)。
- 共通KPI:男性育休取得率30%超、夫婦の家事育児時間比が1:1.5へ接近、出生意思の改善
参考・出典
- 出典:対象ニュース・関連資料
- 厚生労働省「雇用均等基本調査」:育児休業取得率・平均取得日数
- 内閣府「男女共同参画白書」:家事・育児時間の国際比較と政策動向
- 総務省「社会生活基本調査」:無償ケア時間
- OECD Time Use Database:国際比較
- 育児・介護休業法(改正)・働き方改革関連法:制度枠組み
(文・坂本 美咲)https://news-everyday.net/













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