
ホテル代高騰時代に“損しない” 中小宿泊業社長の価格設計と需要シフト

ホテル代の高騰は「失う」不満ではなく「逃す」機会です。損失回避の心理を味方につけることで、中小の宿泊業が価格設計と需要シフトで収益性と雇用を同時に守る実装手順を示します。
【目次】
- 導入:課題の背景と全体像
- データで読む現状(統計・動向・比較)
- 政策と現場のギャップ
- 国際比較と改革の方向性
- 解決案:制度・人材・財政の再設計
- 総括:未来志向の経済システムとは
- 付録:参考資料・出典・謝辞
導入:課題の背景と全体像

「ホテル代が高い」という声が増えています。NHKの報道「ホテル代が高い! 変わる旅のカタチ」は、旅行者の体感と、宿泊業の実態が交差する現在地を映し出しています。結論から申し上げます。価格高騰の是非を巡る感情論に時間を費やすよりも、中小の宿泊業は「失うこと(機会損失・粗利の漏れ・人材の流出)」を最小化する価格設計を、できるだけ早く実装したほうが良いです。
市場は、円安の追い風・インバウンドの復帰・レジャー偏重の需要・客室や人手・エネルギーといった供給制約という“四重奏”で動いています。価格を下げて“優しさ”を示せば支持される時代ではありません。むしろ、適正な値付けの根拠を示し、価格の段差(フェンス)で需要を仕分け、ピークからオフへ需要を移し替える仕組みを持つ施設が、収益と評判の両方を守ります。損失回避の心理は消費者だけのものではありません。経営における最大の損失は、「本来とれていたはずの価格・滞在・付帯売上」を逃してしまうことです。価格は単なる告知ではなく、戦略的に設計すべき経営ツールだと捉える必要があります。
背景を整理します。コロナ禍で蒸発した国際需要が戻ることを想定しながらも、多くの施設は人員を絞り、投資を止め、料金をギリギリまで下げてきました。そこへ円安がもたらす購買力の差が重なり、都市や観光地を中心に平均客室単価(ADR)が上昇しています。国内の賃金や電気代、食材費もじわじわと上がり、従業員の採用・定着コストも増加しています。供給側の余力が限られている状況では、価格が上がるのは市場の常識です。
もし「ホテルは公共財のように安くあるべきだ」という規範が強すぎるままでは、宿泊業の投資は遅れ、労働の質は下がり、結果として旅行者の満足度も下がってしまいます。ここで必要なのは価格の説明責任と、価格に見合う価値の増幅です。高いから悪いのではありません。高くても納得できる体験の構築と、高く出せない日や顧客に「選ばれる値段」を設計することという二正面の戦略が問われています。
構造は一見シンプルですが、解き方はシンプルではありません。需要の山谷は、曜日・季節・イベント・国籍ミックス・予約チャネルによって刻々と動きます。供給の制約は客室数だけでなく、清掃・フロント・調理など労務のピーク管理、リネンやエネルギーの固定費、地域交通・観光資源の受容能力も含まれます。制度面では、最低賃金や時間外上限、入管・在留資格、観光税・宿泊税、水光熱の料金体系、災害レジリエンスなども影響します。
これらが噛み合わないと、「稼げる日ほど人が足りず、稼げない日に空室が余る」という最悪の損失曲線が描かれてしまいます。損失回避の観点から見ると、最初に対処すべきは「ピーク時の販売制御」と「オフピークへの価値移転」です。需要の頂点で部屋を安売りしないこと、そして谷で価値を束ねて価格を守ること。この2点を押さえるだけでも、利益は大きく改善しやすくなります。
問題提起は三つあります。第一に、「高い」と感じる消費者にどう説明し、どのような選択肢を提示するかです。ここで鍵になるのが、行動経済学で知られる「損失回避」です。人は同じ金額でも、「得をする」より「損をしない」ことを好む傾向があります。たとえば「早割で1,000円得です」よりも、「直前は1,000円高くなる前に今の料金を確保しましょう」という表現のほうが、予約率が上がりやすくなります。
第二に、企業顧客や長期滞在など、価格にはそこまで敏感でないが条件には敏感な層をどう取り込むかという点です。第三に、現場の人手不足と制度疲労(複雑な助成・煩雑な労務・予測が難しい需要)をどのように乗り越えるかという点です。価格の議論は、最終的には「人」と「制度」の話に帰着します。設備投資だけでは解決できません。データと現場知を結びつけ、短期の手当てと中長期の設計を重ねていくことが重要です。
本稿の構成は「データ分析 → 制度の歪み → 改善提案」の三段です。データ編では、宿泊価格のトレンドや国際比較、客層・チャネルの変化、コスト構造を概観します。制度編では、人材確保や税・補助、規制の実務負担を検証し、どこに現場とのズレがあるかを可視化します。改善提案編では、中小宿泊業が今日から使える価格設計と需要シフトの手順を、具体的な数式・運用ルール・KPIとともに示します。
あわせて、国・自治体・DMO(観光地域づくり法人)に対しては、価格の適正化を阻む制度疲労の緩和、データ基盤の整備、労働流動性を高める政策を提言します。目的はシンプルです。値上げに対する反発を恐れて我慢するのではなく、値上げを「価値の約束」に変えて雇用と投資を戻していくことです。この考え方は、設備投資やDX投資の意思決定を扱った「2025年は企業向けノートPCの選びの基準が変わる年?」とも共通する視点です。
結論を先に整理します。
– 価格は二層で設計します。ピークは「値上げ」ではなく、可用性のコントロール(滞在条件・返金条件・販売チャネル)で上限を守り、オフピークは価値の束ね直し(食・体験・交通・ワークスペース)で下限を支えます。
– 需要は二方向にシフトします。時間(平日・肩シーズン)と属性(国内の長期・地域周遊・リモートワーク)へ誘導します。
– 制度は三点を見直します。人材(在留・兼業・育成補助)、税(観光税・投資減税の使途透明化)、データ(価格・稼働の開示基盤)です。
もしここで私たちが動かず、「高いと言われるのが怖い」と価格を抑え続けてしまえば、失うのは信用ではなく、未来の投資能力です。失わないために、いま動くことが大切です。それが合理であり、同時に地域の雇用を守るうえでの善でもあるといえます。















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