
高騰のカカオ──「サロン・デュ・ショコラ」に見る“値上げ時代”の購買心理と3つの価格戦略
文・構成:長井 理沙(ストーリーテラー心理文化解説者)
- Context(背景):気候変動と世界的物価高で原材料が不安定化し続ける時代。
- Emotion(心理):節約の痛みと「たまには自分を甘やかしたい」矛盾。
- Light(視点):価格だけでない「体験と物語」が価値を編み直す兆し。
開店前の通りに、濡れた舗道がわずかに光る。傘の先から落ちた雫が、冬の空気にやわらかな輪を描いて消える。手袋越しに感じる自分の体温は、朝の冷えに抗いながら静かに在る。ガラス越しのショーケースに、光の粒みたいなチョコレートが並んでいる。鼻腔の奥で、カカオの香りが記憶を撫でる。あの頃の私──誰にも言えない疲れを抱き、帰り道のコンビニで小さなチョコを一粒、口に入れた夜のこと。噛まずに溶かしていたら、胸のざわめきが少しだけ、沈んでいった。
目次
導入部:心の奥で鳴った音(ニュースとの出会い)
雨の音が、仙台の朝の街を細く縫っていく。開店直後の百貨店。ドアの向こう、並ぶ人の列は、ただ並んでいるだけの列ではない。そこには、仕事帰りに言葉にできなかった疲れ、明日に向けた小さな祈り、誰かに“おいしいね”と分かち合いたい温度が、息を潜めている。私は、その温度の中に自分の呼吸を重ねる。
「サロン・デュ・ショコラ」が仙台三越で始まったと聞いたのは、ちょうどカップの底に残ったコーヒーが冷えはじめた昼下がりだった。フランスの名職人の名前、宮城の日本酒の香り、くちどけという言葉の柔らかさ。ニュースは淡々としているのに、私の胸の奥で、古い記憶がほどけるように鳴った。
値上がり。高止まり。数字で語られる現実は、たしかに重い。気候変動で揺らぐ収穫、輸送費や包装資材の上昇──「それでも買うの?」という問いが、どこからともなく浮かぶ。けれど、その問いはときに、私たちのささやかな救済の形を見落とす。
「高くても欲しい」と人は言う。欲望という語はしばしば貶められるけれど、私はそれを、家に帰るまでの小さな灯りのように受け取りたい。高級チョコの箱は、誰かからの承認を待たずに、自分へ向けて開ける扉にもなる。推し活と呼ばれる行いの、明るい集中力もそこに似ている。
かつての私は、値札の数字を前に立ち尽くすことが多かった。支払えるか、ではなく、支払っていいのか。そんな基準で己を測ると、心は静かに擦り切れていく。だからこそ、私たちは知りたい。値上げの時代を、どう生きるか。何を選び、どう守り、どんな温度をそばに置くか。
仙台の催事場に立ち上る甘い香りは、個人の体温を思い出させる。数字に挟まれた日常で、それでも人が人に手渡す小さな幸福は、確かに息づいている。そこから、話をはじめよう。
「値段は記号、体験は体温。」













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