中学の部活動 “地域展開”で新ガイドライン案 国の有識者会議

国の有識者会議が「中学の部活動の地域展開」に向けた新ガイドライン案を示した。土と汗と歓声の現場は、いま地域へ。挑戦は、もう始まっている。


導入:挑戦の瞬間、心が震える

土の粒が指に残る。夕陽が沈むグラウンドは、日の名残りを背中にうっすらとまとい、球の音が空の奥を叩く。中学の部活動が“地域へ広がる”と聞いたとき、私はこの匂いを思い出した。汗が乾く独特の塩味、金属バットが芯を捉えた瞬間の澄んだ高音、声が重なるリズム。現場はいつだって、紙の上の議論より雄弁だ。目の前で息を切らす子どもたちが、いまどこに走りたいのか。彼らの瞳の奥に、未来のルート図がうっすらと描かれている。私は、その線を一緒に辿ってみたくなった。

雨上がりの匂いが芝に残る日、地域の体育館で、見慣れない組み合わせがひとつのサークルを作っていた。中学生、元部活の顧問、町の社会人クラブのキャプテン、医療系の専門学校生、そして子どもの送迎に慣れたタクシー会社の担当者。輪の中心で、ひとりの少年が深く息を吸い込む。胸の奥に届く湿った空気が、彼の震えを落ち着かせる。ここから、新しい挑戦が始まるのだと、会場の静けさが教えてくれた。

国の有識者会議が「中学の部活動の地域展開」に向けた新たなガイドライン案を示した。そのニュースが流れた瞬間、全国で同じように息を飲んだ人たちがいる。顧問の先生は頷き、保護者はスケジュール帳を開く。地域のクラブチームは「じゃあ、うちも」と肩の力を抜く。社会は、案外“みんなで踏み出す”合図を待っていたのかもしれない。みんながやっている。その安心感は、ときに背中を押してくれる最初の追い風になる。

私は前職で、高校野球の夏を追いかけていた。灼けたアルプススタンドの熱を、何度もノートに吸い取ってきた。だが、あの輝きは、必ずどこかの“始まり”に連なっている。始まりはいつも、中学や地域の小さなグラウンドだ。夜風が頬を撫でるたび、あの頃の自分の息遣いを思い出す。肩で息をしながら、痙攣するふくらはぎをさすり、見上げた空の高み。そこにある星座のひとつが、きっと今日の「地域展開」という名前を帯びていたのだと思う。

地域が主役になる。耳馴染みはよくても、実装は容易じゃない。指導者、練習場所、保険、移動、費用。列挙すれば不安のほうが多い。それでも輪が動き出すとき、不安は積み木のように形を変える。指を添えて支える大人が一人、また一人と増えていく。汗で滑るボールを受け止めるミットの音が、最初の拍手になる。ゆっくり、だが確かに、チームが、町が、動き出す。足元の土がふかふかと反応を返す。大地は、挑戦を受け止める準備ができている。

この物語の主人公は、ひとりの少年だけではない。支える指導者、運ぶ人、見守る町、そして、かつてユニフォームを脱いだ大人たち。彼ら全員の呼吸が、やがて一つの鼓動になる。私は、その鼓動に耳を当てたい。鼓動が早くなる瞬間、手に汗をかく。遅くなる瞬間、そっと肩にタオルを掛ける。挑戦は、孤独ではない。みんなでやっている。そう感じられたとき、初めて人は遠くまで走れる。グラウンドの外周をもう一周、彼らは笑って走り出す。

「大丈夫。みんなでやれば、怖くない」

地域コーチ・宮田

関連記事一覧

  1. この記事へのコメントはありません。