和歌山初の女性ラグビー審判員に「三刀流」の女子高生がデビュー

和歌山で女子高生審判が初デビュー。三刀流の学びと挑戦が地域と競技の未来を動かし始めている。勇気の笛が響いた瞬間と、彼女の一歩を追う。


導入:挑戦の瞬間、心が震える

スタンドの鉄骨が、風にかすかに鳴いた。冬の半歩手前、和歌山の空は澄み切っているのに、ピッチの上には密度のある空気が漂っていた。芝を蹴るスパイクの擦過音、汗に含まれる塩の匂い、タッチラインのすぐ外で子どもたちが抱える楕円球が、日差しを拾って鈍く光る。私は深呼吸する。笛の音がまだ鳴っていない静けさは、映画のフィルムが回る直前の暗がりに似ていた。そこに立つのは、和歌山で初めて高校ラグビーの公式戦で笛を握る女子高生――「三刀流」の挑戦者。選手として汗を流し、仲間を支え、そして裁く。試合が始まる前から、この日に至る物語を思うだけで、胸の奥が熱くなる。

彼女は背筋を伸ばしてセンタースポットへ向かう。芝の反発を確かめるように一歩、また一歩。耳を澄ますと、スタンドの呼吸がうっすらと合っていることが分かる。未知への期待と、伝統への敬意が、喉の奥で混ざり合う音。主審の位置に立った瞬間、周囲の視線が一点に集束する。希少性――それはときに過剰な光となって挑戦者を照らし出す。でもこの光から逃げない人だけが、次の道を作る。「三刀流」。その言葉はキャッチーだが、三つの刃を同時に握る苦さを知る者は少ない。一本で切れないとき、二本目を、三本目を、やりくりするように使う。折れそうな日も、研ぎ続ける日々も、ここに集約されていく。

初めて吹く公式戦の笛。その音は高くも低くもなく、ピッチにいた全員の耳にすっと届いた。空気がストンと落ち着く。楕円球が蹴り上げられた瞬間、風向きが変わった。ボールの回転が陽光を切り、空に一本の線を描く。走り出す選手たちの足音が重なる。彼女は最初の接点へ詰める動きが早い。視線の高さ、角度、距離感。層になった人の塊の外縁を回り込むとき、短く指示が飛ぶ。反則の芽は、早く摘むほどプレーの安全が保たれる。笛は安全のスイッチだ。勇気の可視化装置だ。私はメモを取る手を止め、喉を通る冷たい空気を確かめる。これが、変わり始める瞬間だ。

「女子が笛を吹くのか」。そんな驚きが、声にならないさざ波となっているのを、私は聞いた気がした。だが彼女の動きは揺れない。大きな倒れ込みが起きれば、支点に立ち、小さな不正が続けば、軽やかに注意する。ジャッジは、勇気と公平の折り合いだ。ラグビーは規律のスポーツ。ルールは厳格で、だからこそプレーは自由に羽ばたける。少女が一本の笛で、その自由の空を守る。希少だからこそ目立つ。少ないからこそ難しい。でも、少ないからこそ、人は見つめる。視線は痛いときもあるが、同時に応援の熱にも変わる。見られているから、踏ん張れる。そうやってスポーツは進化してきたのだ。

ハーフタイム。スタンドの上段で、私は風に当たる。身体に染み込んだ緊張が、少しずつ解けていく。耳にはまだ、芝の擦れる音が残っていた。和歌山で生まれた新しい「当たり前」。たった一人から始まる当たり前は、かつてどの競技にもあった。女子マネジャーがグラウンドに立ち続けた日々、女子選手が少年チームでプレーした学童期。制度が追いつく前に、いつも誰かが扉に手をかけていた。今日はその連続線上の一点だ。三刀流――彼女の刃の一本は審判、もう一本は学業、そしてもう一本は日々の仲間を支える役割かもしれない。どの刃も鈍れば、比例して重くなる。だからこそ、研ぐ。

私はペンを走らせながら、自分の高校球児時代を思い出していた。土と汗に染まった夏。ジャッジが怖かった。判定に揺さぶられ、時に不満をこぼした。今、笛の裏側に人の呼吸があることを知る。鳴らすまでの逡巡、吹いた後の責任、響いた余韻の処理。彼女の背中に宿る緊張の粒が、遠目にも分かる。だが同時に、その粒が光に反射して小さく輝いてもいた。臆さぬ人が、競技の未来を作る。和歌山の空っ風が、笛の音を少し遠くまで運んだ気がした。今の日本のスポーツ現場に必要なのは、こういう勇気だ。少ないからこそ、尊い。希少だからこそ、強い。一本の笛が、地域と競技の景色を変える。私は確かにその瞬間を見た。

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